この記事でわかること
- なぜ「万年野党」と呼ばれた社会党が突然自民党と連立を組んだのか
- 非武装中立・護憲という理念が冷戦終結でどう揺らいだか
- 55年体制を支えた「左の柱」の興亡が現代野党に残した遺産
概要
日本社会党(にっぽんしゃかいとう、にほんしゃかいとう、英語: The Social Democratic Party of Japan、Japan Socialist Party、略称: SDPJ〈党内右派〉、JSP〈党内左派〉)は、1945年から1996年まで存在していた日本の政党。日本国の社会主義国家化を掲げた革新政党である。1996年1月19日以降は、党名を社会民主党へと変更して存続している。
略称は社会党、社会。新聞やメディアでは民社党と混同しないよう社党と記される場合もある。
1945年11月2日、新生日本を社会主義によって切り開いていくべく、第二次世界大戦中に身を潜めていた社会大衆党を中心とする戦前の無産政党や労働運動関係者、社会運動家らが安部磯雄らに呼応して結集し結成された。
成り立ち・背景
1945年11月2日、第二次世界大戦前の非共産党系の合法社会主義勢力が大同団結する形で、西尾末広、平野力三、水谷長三郎らが中心となり、日本社会党は結成された。日比谷公会堂で行われた結党大会で片山哲が書記長に選出された。委員長は空席とされた。婦人部長には赤松常子が就任した。
日本社会党は右派の社会民衆党(社民)系、中間派の日本労農党(日労)系、左派の日本無産党(日無)系などが合同したもので、右派、中間派は民主社会主義的な社会主義観を、左派は労農派マルクス主義的な社会主義観をもち、後に分裂して民主社会党(後の民社党)を結成していく右派は反共主義でもあった。日労系の中心的メンバーは、戦前、社会主義運動の行き詰まりを打開するために、天皇を中心とした社会主義の実現を求めて軍部に積極的に協力し、護国同志会出身者を中心に、大政翼賛会への合流を推進した議員が多かった。一方、左派は天皇制打倒を目指そうとした者が多かった。
結党当初、党名は「日本社会党」か「社会民主党」かで議論となり、日本語名を「日本社会党」、英語名称を「Social Democratic Party of Japan」(SDPJ、直訳は日本社会民主党)とすることで決着した。後に左派が主導権を握るにつれ次第に「Japanese Socialist Party」(JSP、直訳は日本社会党)の英語名称が使われるようになった。その後再び右派の発言力が強くなり社会民主主義が党の路線となると、SDPJの略称が再確認された。
このように社民系、日労系、日無系の3派の対立を戦前から引きずり、たびたび派閥対立を起こした。社会党結成に加わった左派の荒畑寒村は後に「社会主義とはまるで縁のない分子と、情実と、便宜のために作られたに過ぎなかった」と評しており、事実として結成懇談会では社会主義について全く触れられてはいなかった。
関連項目
Politype的視点
万年野党の「象徴」だった社会党が1994年に突然自民党と組んだ衝撃は、支持者の離反を招き消滅への引き金を引いた。「理念か現実か」を突きつけられた政党の選択を見ると、現在の野党各党が同じ問いの前に立ち続けていることがわかる。55年体制との関連で読むと理解が深まる。