この記事でわかること
- なぜ自民党は70年以上も「与党」であり続けられるのか
- 保守合同から生まれた結党の経緯と55年体制の構造
- 派閥・業界団体・官僚との三角形がどう機能してきたか
概要
自由民主党(じゆうみんしゅとう、英語: Liberal Democratic Party / LDP)は、日本の政党。自由民主主義の理念を掲げる政党である。
つねに改革を進める自由主義の保守政党を標榜している。
略称は「自民党」、「自民」、英語ではLDP。1字表記の際は「自」。
1999年(平成11年)10月(小渕第2次改造内閣)から2009年(平成21年)9月(麻生内閣)まで、および2012年(平成24年)12月(第2次安倍内閣)から2025年(令和7年)10月(第2次石破内閣)まで、公明党と約26年にわたる長期の自公連立政権を構成していた。代わって、2025年10月から日本維新の会と閣外協力の形で自維連立政権(第1次高市内閣以降)を構成している。
成り立ち・背景
1955年(昭和30年)に日本社会党の台頭を危惧し、かつての自由党と日本民主党が合同して結成された政党である。以来、日本社会党と約40年に及ぶ保革対立の政治構造である「55年体制」を形成した。板垣退助の創設した自由党を源流とし、戦前の政党政治を率いた二大政党であった立憲政友会、立憲民政党を起源とする。また翼賛体制の中核を担った会派である翼賛議員同盟、翼賛政治会、大日本政治会(以上3会派は日本進歩党の前身)及び翼賛体制に批判的な会派である同交会(日本自由党の前身)、護国同志会(日本協同党の前身)、日本自由党、日本進歩党、日本協同党の流れを汲む。
党の運営は永らく執行部の権力が弱くベテラン政治家が「派閥」を形成してその派閥間での駆け引きで政治が行われることが常態化していた。これは1つの選挙区に複数候補を立てる必要のある中選挙区制が採用されていたことによるものである。同じ選挙区の同僚議員は同じ政党でありながら当選を競い合うライバルだった。立候補者は一部を除いて党本部の応援を独占することができず、選挙区で個人の後援会を組織したり、さらには大物政治家の派閥に加わり、平時はその政局の駒となるのと引き換えに、選挙においては派閥の援助を受けた。互いに有権者の歓心を買うため、金権政治の温床ともなった。
1980年代までの日本の経済体制は、自民党主導であり「官僚主導」と評されてきた。欧米の金融資本主導の新自由主義とは異なり、日本の経済は産業資本を中心とする国家資本主義に近いものであったとされる。
日本国内では、第一野党であった日本社会党が分裂し衰退していく中で、自民党は護送船団方式による産業政策、農業への補助金交付、地方における公共事業などを通じて政府による介入と調整を行っていた。これにより、経済格差の平準化が図られた。このいわゆる「55年体制」における自民党の政策は厚い中間層を生み出し、その中間層が日本の文化力や経済力の源泉となった。
1980年代後半のバブル崩壊後、自民党が行う経済政策は大きな転換を迎えた。
関連項目
Politype的視点
「なぜ自民党はずっと強いのか」は日本政治の最大の謎だ。業界団体・官僚・地方組織という三つの「票の柱」が選挙のたびに機能する構造を理解すると、野党が束になっても勝てない理由が腑に落ちる。55年体制から経団連との関係、公明党との連立まで、自民党を中心にKBのリンクをたどると日本政治の全体像が見えてくる。