この記事でわかること
- 自民党に対抗できる最大野党はなぜわずか4年で瓦解したのか
- 小沢一郎が主導した政界再編の論理と限界
- 「政権交代可能な二大政党制」という夢が最初に試された場所
概要
新進党(しんしんとう、英語: New Frontier Party)は、1994年末から1997年末にかけて活動した日本の政党である。55年体制成立以後、自由民主党以外で初めて日本社会党を上回る数の国会議員を擁する政党であった。
成り立ち・背景
1994年(平成6年)6月の自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる村山富市内閣の発足で下野した非自民・非共産勢力は、次期総選挙で施行される小選挙区比例代表並立制への対応に迫られていた。小選挙区で自民党に対抗するためには野党各党が合流して各選挙区で候補者を1名に絞らなければならず、前年1993年の新党ブームを決算するために新・新党を結成する流れが一気に傾き、新生党・公明党の一部(段階的に新党参加を決定したため、分党により新党合流組は「公明新党」を結成した)・民社党・日本新党・自由改革連合など(主に統一会派「改革」を結成していた勢力)が結集し、同年12月10日、結党された。理念は「自由、公正、友愛、共生」であった。なお、これら政党からは新党に不参加の議員も少なからず出ていた。
新党結成に関して、新生党の代表幹事であった小沢一郎(当時:新党準備委員会委員長)は「保守党」と名付けることを希望したが、周囲の反発により断念した。初代党首選挙は、自由改革連合代表の海部俊樹元首相、新生党党首の羽田孜元首相、民社党委員長の米沢隆の3名で争われ、海部が勝利した。
結成時の所属国会議員数は214人(衆議院178人、参議院36人)である。結党時の国会議員数が200人を超える政党が結成されたのは、1955年(昭和30年)結成の自民党以来39年ぶりであった。
公式の英語党名は、当初「New Progressive Party(新進歩党)」とする案も出されたが、異論があり「New Frontier Party(新開拓地党)」となった。公式の略称は新進、NFPとされた。日本の英字紙であるジャパン・タイムズは公式英称をあまり用いず、ローマ字名称の「Shinshinto」を多く用いた。
関連項目
Politype的視点
小沢一郎が主導した「反自民大連合」は最大のチャンスをつかみながらも内部対立で自壊した。日本で「二大政党制」を作ろうとした最初の本格的な試みの失敗を読むと、なぜ今も同じ失敗が繰り返されるのかが見えてくる。野党再編の「教科書的失敗例」として必読。