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組織・団体2026-04-21

国労

#基礎知識#労働組合#支持母体

この記事でわかること

  • 国鉄民営化に最後まで反対した国労がどう解体されていったか
  • 中曽根政権が「国鉄改革」で狙った労働運動弱体化の戦略
  • 「国労闘争団」の争議がなぜ20年以上続いたのかを知る

概要

国鉄労働組合(こくてつろうどうくみあい、略称:国労(こくろう)、英語:National Railway Workers' Union、略称:NRU)は、日本国有鉄道(国鉄)およびJRグループの職員・社員による労働組合の一つである。国鉄分割民営化後も組合名は変更されていない。
組合員数は約9,000人(2016年現在)である。全国労働組合連絡協議会(全労協)、全日本交通運輸産業労働組合協議会(交運労協)、国際運輸労連(ITF)に加盟している。

成り立ち・背景

国労は、日本国有鉄道発足以前の1946年2月に国鉄労働組合総連合会として結成され、当時の省線鉄道員の96%を組織化した。当初は地域・職域毎に結成された労働組合の連合体であったが、翌年6月には単一組織の国鉄労働組合として改組された。だが結成直後から路線対立が激しく、日本社会党の左右両派や日本共産党の政治対立に巻き込まれることとなる。更に時代が下ると社会主義協会や中核派、革マル派なども組織に入り込み、セクト間の対立が深刻になる。
共産党系の労働活動家が中心となって国鉄総連合も参加した二・一ゼネストが、GHQの命令によって中止に追い込まれると労組内の共産党系活動家による引き回しへの批判が大きくなり、1947年11月の臨時大会では社会党系と共産党系の代議員が激しく対立し執行部は総辞職。共産党に批判的だった星加要・加藤閲男・沢田広・小柳勇らが国鉄労組反共連盟を結成し、これが更に支持を広げ国鉄民主化同盟(民同)となり一大勢力を築いた。これに対し、共産党とは距離を置きながらも共闘を否定しない土門幸一・高橋儀平・細井宗一らは1948年4月に国鉄労働組合革新同志会(革同)を結成、労働者農民党を支持しつつ共産党系や民同と三者鼎立する格好となった。
同年6月に開催された国労大会では共産党系と革同で執行部を占め主導権を握るとともに国際自由労働組合総連盟からの脱退を決議。翌1949年7月18日に国鉄当局は鈴木市蔵委員長・高橋儀平書記長ら共産・革同系の国労幹部55名を免職。機関士待遇をめぐる運動方針の対立から国鉄機関車労働組合(機労・後に国鉄動力車労働組合=動労)が分裂したが、同年結成された日本労働組合総評議会(総評)では加盟労組単産の中では重きを成した。しかし翌1951年に全面講和・中立堅持・再軍備反対・軍事基地反対の「平和四原則」を総評が採択すると、この扱いを巡って国労内部が対立。民同出身だった横山利秋企画部長が「平和四原則」から再軍備反対を除いた「平和三原則」に則る運動方針案を提出すると、星加副委員長が「平和三原則」を棚上げにして「愛国的労働運動」を目指すべきという対案を提出。

推薦・組織内国会議員

国労は全労協(全国労働組合連絡協議会)加盟で、連合には非加盟。特定政党への組織的推薦は行っていない。

状況内容
現職の組織内議員なし
支持政党特定政党への組織推薦なし
政党要請活動春闘・労働政策で立憲民主党・国民民主党・社民党・共産党・れいわ新選組に要請活動を実施
  • かつては日本社会党(後に社民党)と強い関係を持っていたが、国鉄民営化後に影響力が大幅低下
  • 組合員数は約9,000人(2016年時点)と大幅縮小
  • 「1047名解雇問題」の和解(2010年)を経て組織が安定化

関連項目

Politype的視点

「不当労働行為」として争い続けた国労闘争団の20年は、日本の労働運動が政治権力に敗北した記録だ。解雇された組合員が最終的に「和解」するまでの経緯は、労働者の権利と政治の関係をリアルに問いかける。55年体制崩壊と国鉄民営化の文脈で読むと理解が深まる。

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